闘病雑記 体力が無い、絵の話
今日は体調の話。
最近苦しい事は体力がないことです。
運動量が大幅に減って、筋肉がデロリと落ちた。
最近でもないんですけど。
体力がなくて困ることが多くなりました。
療養のための趣味をすることもままならない。
ゲームすらできない。
動画を見るのもややつらい。
絵が描きたい……
うえのやつは検索エンジンに同意を求める画像。
いやなんじゃあ……絵が描けないのはいやなんじゃあ……
ネットの知り合いがうつ病になって以来、明らかに絵柄、というか描き方に疲れが見える方面へ変わっていったのを見て、密かに恐れていたのですが、なんというか、その、怖いです。うつ病って脳の病気なんですけど、絵も脳を浸かって描いているものなので、それの障害が起きうるのではないかと、怖いです。怖い。
精神疾患の人が描いた絵、みたいなものってメディアで見たことある方いると思いますがあれとはまた別の話です。あれらはちゃんと絵を描き詰める事ができてるのですごい絵なのです。すごい。
というか、私が画風やタッチ、色彩などをリスペクトしている方々の中にも精神疾患の人は結構いたりします。ゴッホとか。
私が言っている事は、絵を書き上げる前に匙を投げたくなるようになるのが嫌ということです。脳は描きたいのに体は描きたくないと言っている。
ああ。ああでも思い出しました。
筆のタッチが最高にクールな抽象画家「ニコラ・ド・スタール」という画家の、最後に描いた作品のお話をします。
絵の名前はコンセール……コンサート、ああ。
コンサートだったと思います。発音の差で名前が違うかもしれないけど意味的にはコンサートなので、ここではコンサートで通します。
ですが、その作品は未完のものとなっています。
その後スケッチなどを燃やして故意的に亡くなった。
「私には絵を描ききる力がない」という意の遺書。
もう話すことができない人の真実を知るのは難しいことですが、憶測の範囲では絵を完成させることができない絶望から死に至ったのではないか、という説があがります。
その説に私は恐怖する。まさに画家の死、というのは絵を描く精神が切れた時だと思いますので、本当に怖いです。あくまで、例えですが、四肢をなくしても視覚を失っても絵を描く人はいます。でも精神を失ったら?
あ……ああ……。と、とととなり。怖い。
怖い。創作者の死というのは
肉体ではなく精神なんだと。
そんな感じでした。
タイピングがきついのでこの辺でしめます。
今回お話した、コンサートを描いた記事を見つけたので、貼っておきます。